2008年3月7日金曜日

すいません。

日本の電車に乗っていると、

「電車、遅れましたと事申し訳ございません。お詫び申し上げます。」

大して遅れているわけじゃないし、
彼らにしても好きで遅らせているわけじゃないですよね?

イタリアではこんなとき絶対に
「すみません。」
という言葉は出てきません。こんなときは

Mi dispiace! (お気の毒です。)

日本の感覚だとまったくの他人事に聞こえるので、たとえば駅員がこんなことを言ったら普通怒るまではないにしても、むっと来るのではないでしょうか?

壊れたパンタグラフ、完全に折れて垂れ下がっている。普通ありえないでしょ、こんな壊れ方!

これはイタリアでの実話なのですが、

ローマ郊外の国営鉄道(Trenitalia)に乗っていたときのことです。
ローカル線で普段であれば客も少なく静かなのですが、この日は年に一度のワイン祭りが開催されるということで、たくさんの観光客が乗っていたんです。
それが突然、停止。

駅からまったく出発する気配がありません。
仕方がないので、全員電車から出てみると、駅員が乗客に取り囲まれてるじゃないですか、

彼曰く
「電車が壊れたから出発できない。」

乗客の、
「じゃあどうすればいいのか」
との問いに

知らない、俺のせいじゃない、
の一点張り。

壊れた電車、パンタグラフが折れて垂れ下がっている。
こんな壊れ方ありえないでしょ!!


何にもない田舎の途中駅に放り出されたわれわれは遠巻きにやり取りを見守っていたのですが。

そのうち一人が
「あそこに一台電車があるじゃないか、あれを動かせよ!」

見れば確かに数日前から放置されたような同じ電車がもう一台。
こっちとしては、とにかく目的地へいければ構わないので、

詰め寄る乗客
言い訳する駅員

所詮は多勢に無勢
かくして、もう一台の電車が動き出したのでした。


イタリアでは個人主義なので、こんなとき駅員は

絶対に謝りません。

知らない。俺のせいじゃない。

これは彼らの常套句です。

日本では「責任を取る」ことが美徳であるという意識があるのですぐに「すみません」と言ってしまいますが、
イタリア人は自分の失敗が明らかであっても、非を認めることは非常に稀です。
たとえ追及されても

「自分は完璧な人間ではないから、失敗するのはしょうがない!」
なんてどこまででも自分は棚上げします。

こんなイタリア人はしょうがないのでしょうか?
彼らには礼儀がないのでしょうか?

これはすべての人に当てはまると思うのですが、
相手を自分の価値観で判断してしまいがちです。

特に外国であると、日本とはまったく別の文化があって、道徳や考え方が大きく違うことがほとんどです。

確かにイタリア人は「見苦しい」場合が多いですが、彼らを「失礼」だなどと思ってはいけないということです。

「郷に入っては郷に従え」

イタリアはヨーロッパだから日本に近いだろうなんて思ってはいけません。
東洋的な礼儀や、気遣いなんて概念すら存在していないのです。
彼らと付き合うときはその辺よくよく気をつけてください!

頑張らない

昔、まだ俺が高校生で部活動に汗を流していたころ、

「頑張れ、なんて無責任な事は言うな!」

と顧問に怒られたことがあります。
この人は当時まだ若くて、学生時代に応援団の団長として鍛えた精神で軟弱な俺らをピシピシ鍛えてくれた人でもあります。

<頑張れ>
ってのは便利な言葉で、 テキトーにがんばれがんばれ、と言っていたのが気に入らなかったんでしょう。
それ以来<頑張れ>を使うのに気を使うようになったんです。
たしかに何かをするという具体性にかけていて、無責任ですよね?

村上龍曰く
「昔はそれでよかったのだけど、最近は頑張るだけでは駄目になった。」
だ、そうです。

昔は「あの人は頑張ってるからね」という評価があって、
それがそのまま認められていたのだけど、
今は頑張っているだけでは駄目で、具体的な能力が問われる実力社会になって来たわけです。

俺もやっぱり「頑張れ」はあまり好きでなくて、何かこう頑張っている自分に満足してしまい、それが「逃げ」に甘えてしまうような気がするんです。
いい仕事をするためには、きつい状況でも何処かに余裕を持たないとできないもんです。

イタリア時代、夏に死ぬほど忙しくて、外国に一人だし、多分ノイローゼになったことがあるのですが、
それでも働いていられたのは彼らの底抜けの明るさがあったからだと思います。

そんな彼らのバイタリティはすごいですよ。
そしてみんなしたたかで、狡猾です。
業務上横領や、職権乱用、えこひいきは当たり前で、脱税なんかも日常茶飯事です。

彼らの生活は基本的に「信用」の上に成り立っていないんです。

彼らは一見、仲がよさそうですが、相手のことをまったく信用していません。
わかりやすく言うと、「騙される方が悪い」のです。

だまされる間抜けのように、「弱い」事は「悪」ですらあります。

それではどうやって社会が成り立っているのかというと、
彼らはとても「寛容」なんです。
失敗に対して、とても寛容なんです。
日本のように社会的に追い詰められたりしません。

汝、敵を許せよ。

相手だけでなく、自分の過失も許しまくりです。
責任を取らない彼らは、 我々から見るととても不様に見えるかも知れません。
でも彼らは少なくとも「頑張れ」なんて言葉に熱くなったりしません。
騙すか騙されるかの現実に、そんな感傷は無意味なんです。

相手を信用できないなんて、殺伐な空気になりそうなものですが、 底抜けに明るいんです。
そしてとても感情が豊かです。

ただのアホの様に見えますが、その「笑い」の裏には重い現実があるんです。
友達や、上司が信用できないのに、あなたは笑っていられますか?
これがバイタリティってもんです。
頑張ってなんていられないのです。
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2008年3月5日水曜日

自己紹介をしよう! 基本編1.名前は~です。

イタリアではあまり敬語というものを聞くことがありません。
もちろん敬語はあるのですが、相手に対して敬意を払う言葉という感じではなくて、
公共の場で使う言葉という位置づけではないでしょうか?
相手と一対一で話す時は、どんなに目上の人間であってもTu(君)と呼んで親しく話すのが普通です。

自分の名前を言う時は

Mi chiamo Takao. (私の名前はたかおです。)

相手の名前を聞く時は

Come ti chiami? (君の名前は何ですか?)

前に書いたようにイタリア語は主語によって動詞が変化します。

動詞の原型 Chiamare(呼ぶ)

これが主語Io(私)でChiamoTu(君)でChiamiと変化して、基本的に主語自体は省略されます。

ではちょっとこの文をみてください。

「(Io)Chiamo Takao.」 (私はたかおを呼ぶ)

よく似た文章ですがMiが抜けただけで意味がまったく変わってしまいましたね?

ややこしいのですが、イタリアでは

「名前は~です。」

という言い方はあまり一般的でなく、

「自分は自分を~と呼びます。」

という言い方をします。
詳しく見てみると

「Chiamo(私は呼ぶ) 自分を Takao(たかおと).」

このように(自分を)という部分を入れないと(たかおを)呼んでくる。という意味になってしまいます。

この(~を)と言う部分を目的語といいます。

動詞には二つの種類があって、

目的語が

必要なものを他動詞
必要ないものを自動詞

といいます。

つまりChiamareは(~を)の部分を必要とするので他動詞ですね。

次にMi(私を)、Ti(君を)を見てみましょう。
普通であれば目的語というのは動詞のすぐ後につくので

Chiamo mi Chiami ti

という語順になるはずなのですが、このMiTiは動詞の前に出るという例外ルールがあり、

Mi chiamo Ti chiami

という語順になるのです。

ここにCome(どの様に、どんな風に、HOW)という言葉をつけて疑問形にしてみましょう!

Come mi chiamo? (私はなんと言う名前ですか?)
Come ti chiami? (君はなんと言う名前ですか?)

最初の文は使うことがないと思いますが、自分の名前を相手に聞く時はこうなります。
また文を本当に直訳すると、

私は私をどの様に呼びますか?
君は君をどの様に呼びますか?

となるのですが、日本語ではこのように言わないので、

名前は?と意訳されるわけです。

ここまで
Io(私) Ciamo 一人称単数
Tu(君) Chiami 二人称単数

と見てきたので

Lui/Lei(彼、彼女) 三人称単数

を見てみましょう。

(Lui)Si chiama Marco. (彼の名前はマルコです。)

彼を、彼女を、と言うときはSiを使います。
これはハイ・イイエのSiとは別のSiです。
つまり

Si(彼を) chiama(彼は呼ぶ) Marco(マルコと)

まとめて見ましょう。

Mi chiamo Takao 私の名前はたかおです。
Ti chiami Takao 君の名前はたかおです。
Si chiama Takao 彼の名前はたかおです。


この三人称は実際に彼が、彼女がというだけでなく、
「一般に人は、、、、、」
という言い方に使うことが出来ます。
例えば

これは何という名前ですか?

という文章を作って見ましょう。

   Come si chiama questo? (これは何という名前ですか?questo=これ)

   Questo si chiama pentola. (これはペントラといいます。)

動詞Chiamareは、(~を~と呼ぶ。)という意味でしたね。

 (自分は)自分をたかおと呼ぶ。=私の名前はたかおです。

 (一般に人は)これをペントラと呼ぶ。=これはペントラといいます。

一般の人間は沢山居るので三人称単数ではなくて複数(Chiamano)を使うような気がしますが、
慣例的に単数(Chiama)を使います。

動詞Chiamareの活用
Io Chiamo
Tu Chiami
LuiLei Chiama
Noi Chiamiamo
Voi Chiamate
Loro Chiamano

ここでもう1つ応用を覚えましょう。

Come si dice KONNICHIWA in italiano?(イタリア語で「こんにちは」はなんて言うの?)

Diceは動詞Dire(言う)の三人称単数で一般的な活用は

Io Dico
Tu Dici
LuiLei Dice
Noi Diciamo
Voi Dite
Loro Dicono


(どの様に?、HOW)という意味でComeを頭にもってきます。

(一般に人は言います)は Si dice

目的語の「こんにちは」は動詞の後に入ります。

イタリア語はItalianoで言語の場合の前置詞Inをもちいて

In italiano (イニタリアーノ)

インイタリアーノと云いたい所ですが、NとIの言葉をくっ付けて発音します。

実際には「日本語で何ていうの?」と良く聞かれるでしょうね。

 「日本語でBuon giornoは何ていうの?」

を約してみましょう。

日本語から伊訳する場合はまず主語と動詞を訳します。
この場合は

一般に人は 言う

これを訳して

Si dice

Diceは動詞Direの三人称単数、他動詞なので目的語をすぐ後ろに入れます。

Si dice「Buon giorno」

疑問形なので「どの様に?」と言う意味のComeを頭につけます。

Come si dice 「Buon giorno」?

最後に「日本語で」と言う補足部分を入れて

Come si dice 「Buon giorno」in giapponese?

この辺の言葉は実際のコミュニケーションの基本になると思うので、覚えておくと便利ですよ。

イタリア語に慣れよう。導入編8.解りました!

イタリアというところは何でもハッキリとものを言うので、

お前ちゃんとわかったか?

とよく聞かれます。そんな時

Ho capito! 解かりました!
とはっきり答えられるといいですね。

動詞Capire(解かる)を過去形の形にして

Capito 解かった

を使います。
この時の動詞は主語によって変化せず、
常にCapitoと変化するのですが、それでは主語が誰なのかわかりませんね?

そこで助動詞のAvereが前に入って表現されます。
すると、

 Avere + 動詞の過去形 = 過去の事象
             (Io) Ho capito. 私は解かった。
             (Tu) Hai capito. 貴方は解かった。
             (Lui/Lei) Ha capito 彼/彼女は解かった。
             (Noi) Abbiamo capito. 私たちは解かった。
             (Voi) Avete capito. 貴方たちは解かった。
             (Loro) Hanno capito 彼らたちは解かった。.
Capitoは常に同じ形をしていて、Avereが変化することで主語を表現します。
ちなみにAvereは「持っている」という意味がありますが、この場合は関係ありません。

ここまでは大丈夫でしょうか?
Avete capito? 解かりましたか?
 
それでは前回の文章、バールに行こう!を過去形にして見ましょう。

Sono andato a bal. バールに行きました。
(女性の場合はAndata)

「行く」の動詞AndareAndatoに変化します。
でもこれだけでは足りないので、助動詞が付くのですが、

Sono (原型 Essere)

Avereの代わりにEssereがくっ付いていますね。

実は過去形を表現する場合、動詞によってAvereと使う場合とEssereを使う場合が在るのです。
このときのAvere、Essereを助動詞といいます。

まったくもってややこしいのですが、心配は要りません。
どちらの助動詞を使うのかは次の通り

Avereを使う場合 動詞が他動詞
Essereを使う場合 動詞が自動詞

また出てきました、自動詞、他動詞。
どのように見分けるかはもう解かりますね?

「~が」「~を」という目的語が必要な場合は他動詞
そうでない場合は自動詞

動詞Capire(解かる)という場合、「~が」という目的語を取ることが出来ますね
よってCapireは他動詞。

また動詞Andare(行く)の場合、目的語はとれないので自動詞
という事です。

イタリア語に慣れよう。導入編7.バールに行こう!

Andiamo
は動詞Andareの一人称複数で、私たちは行く、という意味です。

何処に行くのか?
Barに行くのは解るのですがその前に何かありますね?
これが前置詞の「a」です。

意味としては「~に向かって」「~に向けて」というニュアンスがあり、Andareを使う場合、目的の場所の前に必ず「a」がセットになって使われます。

Andare(動詞) + a(前置詞)  ~ = ~に行く

こんな構文が出来ました。

なんだか受験英語みたいになって来ましたね。
昔、前置詞をとる動詞、とらない動詞と苦労して覚えた記憶があります。

今では苦労したということは覚えていても、
何を一生懸命覚えていたのか思い出せないという体たらくです(笑)

でも安心してください。この構文覚える必要はありません。
なぜならイタリア語の場合、前置詞が要るのか要らないのかとてもハッキリしているからです。

それは動詞が自動詞なのか他動詞なのかで決まっていて、自動詞の場合のみ前置詞が必要になります。

自動詞 目的語が必要ない 前置詞をとる
他動詞 目的語が必要 前置詞をとらない

目的語というのは解りやすく言うと「~が」とか「~を」となる言葉です。

例えば
「Mangiare(食べる)」という動詞は他動詞でしょうか、自動詞でしょうか?

Io mangio la mele. 私は リンゴを 食べます。

「りんごを」となっているので他動詞です。

次に「Volere(欲しい)」、「Prendere(とる)」ではどうでしょうか?

Io vorrei i soldi. 私は お金が 欲しいです。

Io prendo un dolce. 私は デザートを もらいます。

これも、「お金が」、「デザートを」、は全て目的語なので
これらの動詞は全て他動詞ということになります。

では改めて「Andare(行く)」を見てみましょう。

(Noi)Andiamo a bar! バールに行きましょう。

先ほどの「~が」「~を」を適用して見ましょう。
バールが、バールを、
とすると、文が変ですよね?
つまりバールは目的語ではないのです。

なので「行く」という動詞は自動詞なのです。
だから前置詞が必要。

自動詞は前置詞が必要


解りましたか?

自動詞と他動詞の違いはとても重要なのでしっかり覚えておいてくださいね。

イタリア語に慣れよう。導入編6.刻苦?してます!

お喋り好きなイタリア人、
ちょっとでもイタリア語が出来ると分かればいろいろと質問されることでしょう。

そんな時、「何してるの?」と良く聞かれます。
お喋りしていて、何してるの?は無いだろうと思わないで下さい。

「学生なの?働いてるの?」
そういう意味です。

(Io)Faccio il cuoco/la cuoca コックをしてます。

慣れない異国の土地で
「こちとらいろいろ大変なんだよ、刻苦してるんだよ!」
と言いたい所ですが、なかなか語学力がおっつかないのが現状ですよね。

とくにイタリア人はなかなか自分の否を認めず、
ああだこうだと言い逃れするので、自己主張が出来ないといろいろ悔しい思いをすると思います。

たとえ喋られなくても体当たりでコミュニケーションをする。
これが語学習得の近道です。


職業などを言う場合、動詞Fare+職業名 で表現します。

動詞Fareの活用は以下の通り

                  (Io) Faccio
                  (Tu) Fai
                  (Lui/Lei) Fa
                  (Noi) Faciamo
                  (Voi) Fate
                  (Loro) Fanno

女性の場合はCuocoではなくてCuocaになりますね。

勿論、Essere動詞をつかって

(Io)Sono cuoco. 私はコックです。

としてもいいです。
しかし、この場合冠詞Il、Laは付きません。
何故でしょうか?

厳密な話は少し難しくなるのでここでは避けますが、それぞれの動詞が

Fare 他動詞
Essere 自動詞

と種類が違うのが原因です。
いったい何処が違うのかというと、

自動詞 目的語が必要ない
他動詞 目的語が必要


目的語というのは「~が」「~を」という部分で
日本語にした時にこれらの言葉がないと変な時、その動詞は他動詞となります。
上の文章では

「私は」(主語) 「コックを」(目的語) 「する」(動詞)。

この場合「コックを」が抜けてしまうと何を「する」のか分からず意味が通りません。
逆に

「私は」(主語) 「コック」(補語) 「です」(動詞)。

この文章で「コックを」としてしまうと、変ですよね?

この二つの種類、自動詞、他動詞はイタリア語を習得する上で非常に大切なので覚えておいてください。

イタリア語に慣れよう。導入編5.これはペンネです。


Sono le penne! これはペンネです!

前回みた文章と非常に似ていますね。
違うところはペンではなくてその複数形のペンネになっているところです。

一本だったらペンナ、二本以上だったらペンネと変わるのですが、
ペンネといえば別の意味もありますよね?

一応コックの為の講座なので、解かって欲しいのですが、
パスタのペンネです。

ペンの形に似ているのでペンネと名前をもじっているのかと思いきや、
ペンの複数形の名前と全く同じ名前なのです。

だからペンネのオーダーが入った時、
皿にパスタでなくペンをバラバラと入れてトマトソースをかけても良いわけです。
どうです、ためになる講座でしょう?

でも今回はペンの話ではなくて、動詞の中でも超重要なEssere動詞について書きたいと思います。

日本にはベネッセという会社がありますね、
おそらくこれはイタリア語のBenessereベネッセレから来ているのだと思うのですが、

Essere bene 良く在る、良く居る

というような意味で、例えばホテルのエステ施設など
Centro benessere(ベネッセセンター)と呼んだりします。

要するにEssereという言葉は存在とか実存というような、

とっても本質的な意味を持っているんですよ。
なのでEssere動詞は、~です。とか、~だ。という時に使われます。

最初の文に戻りましょう。

Sono le penne! これはペンネです!

ちょっと考えて欲しいのですが、
この文章にEssere動詞を使うのはいいとして、主語はどうなるのでしょうか?

Essereは存在とか実在とか言う意味だといいましたよね?
この文の場合、なにが存在、実在しているのでしょうか?

そう、ペンネです。
この文の主語はペンネです。

ちょとEssere動詞の活用を見てみましょう。

(Io) Sono 私 一人称単数
(Tu) Sei 貴方 二人称単数
(Lui/Lei) E’ 彼/彼女 三人称単数
(Noi) Siamo 私たち 一人称複数
(Voi) Siete 貴方たち 二人称複数
(Loro) Sono 彼らたち 三人称複数

ペンネたち、というのはちょっとありませんね。
でも複数であるのは間違いないです。

話している人間が一人称

聞いている人間が二人称

その他の人間が三人称

ペンネは人と話をしないですよね?
もしそんなのがあったら、業界初!喋るパスタ!!で有名になれます。

つまりペンネは三人称複数の活用をして

Sono le penne!  これはペンネです!

これが一つだけのペンであれば単数なので、

E’  la  penna!   これはペンです!

となります。

イタリア語をしゃべるときは
この主語が何人称なのか?
複数なのか単数なのか?

このことを常に考える必要があります。